正論で殴らないで
"普通そうでしょう"
"それが現実"
"ちゃんと考えたら"
そう言われるたびに
なぜか胸がぎゅっとしませんか
言ってることはたぶん正しい
論理も通っている
社会的にも間違っていない
でもそれを聞いたあと
なんだか少しずつ力が奪われてゆく気がする
正論て、ときどき
人の一番柔らかいところを 正確に殴る
心が折れている人にとって
正論は包帯じゃなくて
鈍器になることがある
正しいよ きっと
でも、倒れている人に 「立て」 と言うのが
正しいとは限らない
立てないから倒れているんだもの
人は間違っているから苦しいんじゃなくて
「それでも生きていたい」 と思うから苦しいことがある
誰にも気づかれないところで
必死に呼吸していることがある
そこに正論を投げ込まれると
私はダメなんだという結論だけが心に残る
ダメだから苦しいのではなく
大切なものがあるから
壊れそうになっているだけ
そこに フワフワした慰めや
空虚なポジティブはいらない
ただ、正論で殴らないで
そうだったんだね
それだけ大切なんだねって
そばに座ってくれる誰か
解決よりも先に理解を
直すよりも先にハグを
それは甘えじゃなくて
人間の回復の順番だから
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